電話をありがとうございました。
今出かけていた所から帰って来て、ほっとしたところでメールを開きました。
まだまだドタバタ人生は終わりそうも無く、ゆっくり自分の時間を持つとか、落ち着いた時間とかは夢見る事で終わっています。
原稿を興味深く見させていただきました。
読みながら、確かにこれは私達のクラスではないはずなのに、どこか情景が似ていて、私達の大滝教室とダブってしまいます。
ああ、先生は私達の前にも同じことをしていたんだね~って。
おっしゃるように、先生はあの若さでも、いつも自信に満ちていて、子供たちに伝えたいこと、させておきたい事、がはきりしているようでした。
いつも一人で考えたり行動するんではなく、仲間を意識させました。
一人でいる子にスポットライトをあてて、なんとかして皆の仲間に入れるように、私達自身から行動が起きるよう仕向けました。
皆、一人残らずクラスのどの子も大切な仲間なんだと思えるような、先生の取り組みがありました。
もともとの当時五年生、~六年生の私にとっては、なにが大切かなどを真剣に考える日常はなく、学校はただ言われた事をやるだけ、家に帰れば、日が暮れるまで夢中になって遊ぶだけ。
そんなところに、戦争の悲惨さ、食べ物の大切さ、日本語の美しさ、などなど大人扱いされて、しっかり伝えようとする先生の言葉は強烈に心に残り、後では尊敬も出来た親さえも頼りなく見えて、先生の言うことだけが自分の世界で最重要な事と感じ、よく親に意見をしてしまいました。
つい平井さんの文章に引き込まれて、私の記憶の糸口まで開かれていくのを感じます。
遅くなりまた明日が早いものですから、今日はこのくらいで記憶の窓を閉じておきます。
また後日続けて書けるかもしれません。
黒板のように勝手に書き込んでしまいました。
ただ見せていただきました、という返信のつもりが、こんな長い文になってしまいました。
ここをお借りしたら、少しは文章を書けるのかもしれません。書けたらまた送らせていただきます。
木村(旧姓志田)正子(あゆみの会)20070217平井へのメールから